マーケティングコラム
“気づき”マーケティング(13) <間食>はもはや<間食>ではない!
公開日:
東京辻中経営研究所
同社代表取締役マーケティングプロデューサー 株式会社ユーティル研究顧問
辻中 俊樹
「生活日記」を続々といろいろな方々からお送りいただいている。正直言ってこんなにたくさんの日記が送られてくるとは思わなかった。ある意味、嬉しい誤算であった。
大学生の生活日記による“気づき”
4月の前半に大学生から多くの日記が送られてきた。日記のシートに手書きでびっしり書いていただいている上に、ずい所にイラストが付け加えられており、微笑ましくも楽しく読ませてもらった。もちろん、いろいろな“気づき”に満ちあふれていたのだが、とりわけ一点だけ“気づき”を挙げるとするならば、喫食のチャンスが毎日5~6食機会あることだ。我々が喫食と呼んでいるのは、日記に記述されたすべての喫食のことである。カフェでカフェラテを飲んだりしたり、ドーナツとウーロン茶という組み合わせがあったりするいわゆる喫食すべてを含んでいる。
もちろん、これ以外にも本当はもっと喫食機会はある。授業中にペットボトルの水をチョイチョイ飲んでいることも含めればもっと多いが、本人はこのような喫食は記述には残さないものである。明らかに何らかの意識を持って行なった喫食行動が記述に残っているのだ。
喫食シーンの背景
これがとにかく5~6食機会は登場してくるのだ。いわゆる朝、昼、夜の三食と我々が考えているもの以外に、それとほぼ同数の喫食機会があるといっていい。一般的な言い方をすれば<間食>機会なのである。三食の主食が欠食しているのに、この<間食>が登場して5~6食のチャンスが形成されていることもある。我々の素朴な“気づき”の前提でいえば、大学生という生活スタイルにこんな多くの喫食機会はないのではと考えていた。これは思い込みということだ。日記の事実からこの思い込みはもろくも崩れ去り“気づき”を得られたことが大切である。
少々はしょった言い方をするが、様々なターゲットの生活スタイルの差はあれども、基本的に喫食機会は5~6食なのだという言い方ができる。これが現代の生活スタイルということになる。つまり、三食という主食とほぼ同数の<間食>機会がある。むしろ、主食が<間食>に取って代わられていることもよくあることだ。
もちろん、<間食>という名前の通り、朝昼夜の規定時間の間に登場してくるのは当然である。
喫食の背景には、当然、空腹、エネルギープレ栄養補給といった身体的、物理的欲求があることは当然である。また、もはや生活習慣というしかない無意識によって繰り返されている面もある。間の時間に登場する<間食>にも「小腹がすいた」、「のどがかわいた」といった身体的欲求も当然存在している。日記にも夜ごはんまでの間に「つなぎ」でお腹を満たしたというような表現もでてくる。
ところが、この<間食>という喫食シーンには、どちらかといえば身体的、生理的欲求ではない記述が多く登場してくる。「バイトに行く前に気分転換するため」カフェに寄って「抹茶カフェラテ」を飲む。時間にすればほんの15分程のすき間ということになるが、生活と生活の転換点を明確にする行動という登場の仕方なのである。
子育てママの日記にも、午前中に洗たくを終えた後にスウィーツとカフェラテで「ほっと」一息ついて「さあ、次のがんばりに向けて」というようなシーンが登場する。夕方の4時過ぎにちょっとチョコをつまんで「これがないと次の家事ががんばれません」といったこともよくあることだ。
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精神的接続詞としての価値を持つ<間食>
我々はこのシーンに、異なった生活と生活のつなぎ目に存在する「生活接続詞」といった“気づき”を与えている。むしろ、生理的欲求よりも、<間食>は精神的接続詞の価値を持っているとみているのだ。子育てママもそうなのだが、大学生の生活スタイルをみていて、共に「コマ切れ」の生活動線の持ち主だということに“気づいた”のである。「コマ切れ」動線というのは、一つひとつの生活行動のかたまりの単位が時間的にも空間的にも小さく、このコマ切れの生活動線が次々とつながっていくことである。「コマ切れ」になって、それぞれあまり脈絡のない生活動線を連続化させていくためには、自分自身でその転換をつけていかなくてはならないのである。つまり接続詞を自分でいれていかなくてはならないといえる。
喫食はその生活接続詞の最も際立ったものだといえそうだ。むしろ朝、昼、夜、といった三食の喫食シーンもこの「コマ切れ」の接続に使っている感さえある。<間食>の価値が接続的欲求が強いといえるなら、我々にとってみれば<間食>の方がこの生活スタイルにとってはより価値の高いものなのかもしれないということになる。あるいは三食も<間食>もほぼ同じモチベーションと価値の上に成り立っているとみた方がいい。<間食>を<間食>として侮ってはいけないというのは大切な“気づき”である。
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