価値観が多様化する時代に企業は何を発信すべきか 大橋久美子氏が語るブランドづくりの新しいアプローチ(前編)
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機能から感情へ、日本企業に求められるブランド価値の再定義
グローバル化の波の中で問われる日本企業のブランディング戦略
堀 グローバル化が急速に進む中で、日本企業のブランディングについて考えさせられることが多くなっています。特に海外企業と比較したときに、アプローチの仕方や戦略の立て方に大きな違いを感じます。私たちがクライアント企業と仕事をする中でも、日本企業特有の課題が見えてくることが多いのですが、大橋様は両方の企業での経験をお持ちですよね。その違いについてどのようにお考えですか?
大橋様 日本企業と外資系企業の両方を経験してきた立場から見ると、ブランディングへのアプローチには明確な違いがあります。海外企業は大きな方針を先に決めてから細部を詰めていく傾向がありますが、日本企業は細かい部分をしっかり定義してから上位の概念に進むという特徴があります。具体から抽象への転換がなかなか図れないのです。これがブランド構築の妨げになることもあります。
堀 その違いは、実際の市場でも顕著に表れていますよね。特に若い世代を中心に、海外ブランドの方が身近に感じられるようになってきていることを実感しています。以前は日本のブランドの方が親近感があったように思うのですが、最近ではまったく反対の「遠く感じられる」、あるいは「企業の顔が見えにくい」という声をよく耳にします。
大橋様 その通りですね。日本企業は細かいところを丁寧に詰めていく一方で、ブランドが持つ大きな価値や意味を消費者に伝えていく部分が苦手な傾向にあると感じています。ブランドが持つ価値観をメッセージとして世の中に出していく、そして、消費者の頭にある知覚を蓄積していくことで中長期的なブランドをつくっていくという認識が、まだまだ十分とは言えないのが現状です。
堀 確かに、製品やサービスの品質は高いのに、それをブランドの価値として効果的に伝えきれていないケースが多いように感じます。大橋様は、この課題をどのように捉えればよいとお考えでしょうか?
大橋様 日本企業の場合、製品の機能や性能といった具体的な価値は非常に重視するのですが、それを情緒的価値や、生活や人生における意味に変換していく過程が不得手なのです。抽象化していくこと、とも言えるかもしれません。製品・サービスの個別の機能はどんどん変わっていくものです。何に消費者の知覚を蓄積していくべきかというと、より抽象度の高いブランドの価値定義に基づいた長期的なブランドの構築を行わなければいけないのです。
グローバルで調査をやると、日本の消費者は、機能や性能といった具体的な要素の評価が多いのですが、他の国ではざっくりしたブランドイメージへの共感の話が多いです。こうした思考傾向の違いが、ブランディングを行う時にも、現れているのかもしれませんが。
「憧れ」から「共感」へ、ブランドに求められる新たな価値提供の形
堀 ブランドとユーザーの関係性も、大きく変化してきていますね。以前は商品の認知度を高めることが最優先でしたが、今は異なる要素が重要になってきているように感じます。商品やサービスの機能や品質だけでなく、その背景にある企業の姿勢や社会的な意義を重視する傾向が強まっているように思うのですが、この変化をどのように見ていらっしゃいますか?
大橋様 これまでのブランドといえば、「認知」の次に来るのは「憧れ」のフェーズだったのです。「このブランドに憧れるから使いたい」という段階がありました。しかし今は、もっと社会的な要素や、未来をより良くしたいという思いにシフトしてきています。各世代が持っている未来への不安や社会への不満に対して、きちんと向き合い、応えているブランドに共感が集まっているのです。
堀 その変化は、企業にとって大きな課題だと思います。今までのように商品の特徴や性能を訴求するだけでは、もう十分ではないということですね。
大橋様 そうですね。例えば、Appleの「Think Different」は、テクノロジーに人間性が排除されてしまう不安に立ち向かい、これまでとは異なる新しい価値観を作り出そうという大きなメッセージが込められています。衣料用洗剤のPersilという海外ブランドの例も興味深いです。「Dirt is Good(汚れはいいものだ)」という、衣料用洗剤としては意外な価値を提案しています。子どもは土遊びをしながら成長するものだという、親の普遍的な心理を捉えたのです。洗濯が面倒であっても、Persilが綺麗にしてくれる。だから安心して子どもを外で遊ばせられる。さらには、子どもが外で遊ばなくなっている現状の中で、Persilは、子どもたちが外に出て遊べるような活動の提案、特に環境に良い行動(木を植えるなど)を促す活動を行なっています。
堀 日本企業ではまだそこまでの発想の転換は少ないですよね。どちらかというと、洗浄力の高さや、汚れの落ち方といった機能面での競争が中心になっている印象があります。
大橋様 はい、まさにそこが課題です。機能の戦いではなく、世の中をどう変えていくかという、社会へのメッセージが今の時代
には求められています。それが信頼を集め、共感を得ることにつながっているんです。
堀 SDGsへの取り組みなども、日本企業は真正面から捉えすぎる傾向がありますよね。17の目標をどう達成するかという視点になりがちですが、本来はもっと違う角度があるのではないでしょうか。
大橋様 その通りです。そのブランドだからこそできる、SDGsへの取り組み方があるはずなのです。単に世界共通の目標に取り組むということではなく、そのブランドならではのスタンスで取り組むという独自性が見えてこないと、消費者の頭の中でそのブランドとして知覚されないですし、本当の意味での共感や支持は得られないと考えています。消費スタイルの変化がもたらすブランド戦略の転換期
堀 消費スタイル自体も大きく変化していますよね。ファストファッションという言葉に代表されるように、商品のサイクルが短くなり、使い捨て的な消費も増えています。さらに最近では、サブスクリプションのような新しい消費形態も登場してきました。このような変化の中で、ブランドはどのような課題に直面しているとお考えですか?
大橋様 こうした動きは、ブランド不要論にもつながっていますが、本当にそうでしょうか。むしろ、こういう時代だからこそ、ブランドの本質的な役割を見直す必要があります。もともとブランドは、選択のリスクを下げる役割がありました。「これなら安心」という保証になるわけです。情報があふれる現代だからこそ、ブランドの持つ保証としての力は非常に重要になってきています。
堀 確かに、選択肢が多すぎて判断に迷う消費者が増えていますよね。その一方で、特定のブランドに強い愛着を持つ「推し」という現象も見られます。この二極化についてはどうお考えですか?
大橋様 そうした時代であっても、「これが好き」という気持ちは依然として強く存在しています。その「好き」という気持ちをいかに飽きさせずに継続させられるか。これが現代のブランドの重要な課題の一つです。Appleやソニーのファンのように、製品が壊れていなくても新製品が出れば購入するという熱量は、形を変えて今も存在しているのです。
堀 「推し」という現象は、単なる商品への好みを超えて、ブランドへの共感や信頼が全面的に表れている状態とも言えますね。
大橋様 そうですね。ブランドへの共感という点でいうと、UberEatsも消費者と新しい関係性を構築できているブランドの一つと言えそうです。これまでは仕事で疲れて帰ってきても、女性が食事の支度をするという空気があったように思います。しかし、CMに女性を起用して「やっぱりUber Eatsで、いーんじゃない?」というキャッチコピーを押し出すことで、従来の固定的な役割分担の他に、新しい選択肢を示しているとも捉えられます。これまで当たり前とされていた価値観を変えていく、そこに多くの共感が集まっているのではないでしょうか。
細分化する市場で求められる新しい消費者理解の形
堀 消費者の価値観が多様化する中で、従来の市場調査やセグメンテーションの手法も限界を感じることが増えてきました。同じ属性の消費者でも、まったく異なる価値観や行動パターンを持っているケースが増えていると感じているのですが、大橋様はどのようにお考えですか。
大橋様 非常に重要な指摘ですね。以前は男性向け、女性向けといった単純な区分けで市場を捉えることができましたが、現代では性別や年齢による違いが薄れてきており、従来の枠組みでは捉えきれなくなっています。例えば「25歳男性」というペルソナを設定したとしても、それは「20代男性」という枠組みに限定されるものではありません。むしろ、価値観や生活スタイルによる区分けの方が、現代の消費者をより正確に理解できる可能性があります。
堀 そうした中で特に課題だと感じるのは、情報過多による市場の細分化です。多様な情報が流通することで、かえって個々の価値観がバラバラになってしまい、共通の価値を見出しにくくなっているように思います。
大橋様 おっしゃる通りです。しかし、この細分化の一方で、逆にそれぞれの価値観をつなぎ合わせる可能性も出てきています。情報過多は確かに課題ですが、それを乗り越えて共感できるメッセージを発信することで、ブランドとしての傘を広げることができるのではないでしょうか。ブランドには、そういった分断された価値観をつなぎ合わせる役割も期待されていると思います。
~後編に続く~
株式会社Stories of Japan
代表取締役
大橋 久美子
博報堂、J. Walter Thompson、LIFULLを経て、ブランド戦略のサポートをするブランドストラテジストとして2020年独立。ジェンダーとブランディングや、日本企業のグローバルブランディングを得意とする。
J. Walter Thompson(JWT)においては、外資系企業でブランドによりビジネスを成長させる経験を積むとともに、日本企業のブランド力強化のためのブランディングモデル“Brand Nurturing”を開発し、日本のメジャークライアントに導入。
女性エンパワメントの活動により、2019年campaign Asia誌 Women leading change Vision leader部門のシルバーを獲得。
宣伝会議・JARO等でジェンダーやブランディングに関する講演多数。
東京大学文学部卒、中央大学MBA修了。文教大学非常勤講師(ブランド論)。
株式会社クロス・マーケティング
インサイトコンサルティンググループ シニアコンサルタント
堀 好伸
生活者のインサイトを得るための共創コミュニティのデザイン・運営を主たる領域とする生活者と企業を結ぶファシリテーターとして活動。生活者からのインサイトを活用したアイディエーションを行い様々な企業の戦略マーケティング業務に携わる。
「若者」や「シミュレーション消費」を主なテーマに社内外でセミナー講演の他、TV、新聞などメディアでも解説する。
著書に「若者はなぜモノを買わないのか」(青春出版社)、最近のメディア出演「首都圏情報 ネタドリ!」(NNK総合)、「プロのプロセスーアンケートの作り方」(Eテレ)