グローバルコラム
ジャカルタの発展と変化
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1976年、私は大学のゼミ研修旅行で、17世紀初頭から日本の長崎、平戸との交易を通じて関係のあったバタビア(ジャガタラ)、現在のジャカルタの地を踏んだ。これを機に、私はインドネシアの歴史、文化、人々に魅せられていった。
現在のジャカルタが抱える問題
ジャカルタの由来
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ジャカルタの発展を概観する
スカルノ失脚後の1967年、第2代大統領スハルトは経済開発優先、外資導入方を制定し、開発路線まっしぐら。外国資本、国内資本の大半が首都ジャカルタにとその近郊地域に集中するようになる。1971~79年の国内総生産の平均成長率は7.6%であった。それまで輸出の大半を占めていた農林漁業が原油、石油製品に移り、石油輸出による外貨準備で貿易を拡大。
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ジャカルタの変化
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以前は空港~市内への交通手段は車のチャーターのみで、空港には白タクの客引きがたむろしていた。1999年に行き先別規定料金の空港タクシー制度が開始され、メーター付きタクシーの利用可能になったのは2007年以降だ。
1970年代ジャカルタの大型ホテルは日本の賠償金で建てられたホテルインドネシア(現ホテルインドネシア・ケンピンスキー)や、ヒルトンホテル、マンダリンホテル、シャヒッドジャヤなどに限られていたが、80年代に入ると建設ラッシュが始まり、市内では常に建設工事が行われていた。それまで大型店舗と言えば、サリナデパートだけだったが、次々とショッピングセンター、モールが開店。官公庁、銀行、民間会社も新社屋の建設、建て替えに拍車がかかった。ジャカルタは35年間で驚異的に変わり、まだ変わりつつある。
発展の産物
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